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2018年4月29日「平城宮跡歴史公園」をハイキング会 に集う

初夏を思わせる日差しのなか
広大な平城宮跡を散策しました

少し汗ばみ、木陰が恋しいですが
広い平地のためか? 音がありません

時々、ひばりのさえずりが聞こえる
静かな散策ができました

奈良といえば、かわいい鹿と大仏さん
東大寺ではないでしょうか?

みなさんに「奈良に行ったことがありますか?」と
尋ねると、たいていの人は、「修学旅行で」と答え

そうですね!奈良観光は教材の一部にすぎない

ならば、この奈良の地で日本の国家形成が
始まった事を、もっとアピールして

京都にはない、古代国家 飛鳥京 藤原京 平城京 
を整備して歴史観光都市にすればよいのでは・・

春日大社や唐招提寺をはじめ
歴史上重要で、有名な史跡がたくさんあります

これらを時間軸で結び、わかり易くPRすれば
次第に興味がわき 「一度 見てみたい!」 から

JR東海がPRしている 「うましうるわし奈良」 へと
つながってゆくと思います

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平城宮跡は、東西 1.3km、南北 1km、面積 120ha
広さは甲子園球場の約30倍

現在、世界遺産に指定されており
遺跡の整備・建造物の復原が進められています

また、世にも めずらしい事ですが
貴重な世界遺産の中を鉄道が走っています

近鉄電車11c30

理由は、1914年(大正3年)近鉄電車の前身
「大阪電気軌道(大軌)」が上本町~奈良間で開通

当時、平城宮跡の主要建物の配置は判明しており
基壇が残っていた朝堂院(政務や儀式の場)跡は
外して線路が敷かれました

それから8年後の1922年(大正11年)
国の史跡に指定されたのは朝堂院地区だけ

平城宮跡全体ではなかったのです
大軌は決して史跡を壊したわけではありません

近鉄電車で大和西大寺駅から奈良へむかうと

すぐに、車窓左手遠方に「第一次大極殿(だいごくでん)
右手近くに「朱雀門(すざくもん)」が遮るものなく眺められる

広大な遺跡のなか、線路の音が聞こえる
その「おおらかさ」 こそが、奈良らしい

1300年前の建物と現在の時間が穏やかに、
ない交ぜになった 「ゆるさ」 が奈良の魅力でしょうか

近鉄電車で奈良方面へ向かう観光客に
古代の気分に浸る序章としての役割も担っています

都会の京都観光と違って、なにもない空間を通ると
「奈良観光に来たなぁ~」という感慨が湧いてきます

意図されたものでは、ありませんが
よくできた観光演出だと思います

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平城京は 710年 旧暦3月10日に遷都されました
現代の4月23日だそうです

中国・唐の長安城などを見本にしてつくられた
日本初の大規模な国際首都です

藤原京からの遷都には
飛鳥、藤原の宮殿、寺院など多くの建物が解体され

その用材が泊瀬川(はつせがわ=初瀬川)から
佐保川(さほがわ)へ 水運によって運ばれた

元明天皇が律令制度に基づいて政治を行うために
藤原京から遷都したものです

平城京は北・東・西の三方が山に囲まれて
南にむかって下がっていて

その先には、かつて大きな湖があり開けています
藤原京のような水はけの悪さもなく、よい地域です

平城京の大きさは、平城宮を含めて
東西 4.3 km、南北 4.8 km

それに 東西 1.6 km、南北 2.1 km の外京(げきょう=赤枠内が加わり
総面積 2,500ha で、長安の約10分の1の規模

奈良全体地図

平城京遷都は当時政権の最高実力者であった
藤原不比等 (ふひと) が推し進めたそうです

平城京の東、高台にある外京は
当時の豪族、藤原氏が占有していました

外京には藤原氏の氏寺である興福寺が建立されました
また、興福寺や春日大社があり

その近くに東大寺が建立され 奈良公園があります
この一帯の春日山地の西麓にあたる丘陵地に

法華寺と云う寺があります
ここが藤原不比等(ふひと)の邸宅跡なのです

つまり天皇が住まう内裏よりも景色の良い特等地を
藤原不比等がわが物とし ているのです

この外京があるために、東側がひどく重くなっていて
明治以降~現在でも、奈良の政治・観光の中心です

平城宮は784年長岡京遷都後
長く耕作地として使われています

その結果、これほど大きな遺跡なのに
その周りに「お土産物売り場」 などがなく

観光地らしくないところが、いいですね!
藤原氏の「都を私物化した」ことが
1300年後の現在までも影響しています

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藤原不比等が絶対権力を行使した事績の一つに
歴史書の作成があります

712年に天武天皇からの勅令により作成され
「因幡の白ウサギ」や「天岩戸」の記載がある
歴史書『古事記』を完成させた

713年には日本各地の土地の情報が記録され
浦島太郎の話の原形が記載された『風土記』を
編集する詔を出しました

720年に「いつ、何があったのか」を記述した
すぐれた歴史書『日本書紀』が完成しました

正史『日本書紀』は、漢文で書かれています

これは東ア ジアの世界政治に乗り出すためには
当時の中国と対等に交渉する事が必要でした

その交渉条件として
①漢字の使用
②仏教の理解
③律令 制度の確立
が必須でした

これらの資料は
日本の国政のかたちが整いつつあった時代

国の内外に威信を示すために作られた
と考えられます

まとめられた時代も重なる部分が多く
当時を生きた人が考えていた事を知る上で
非常に重要な資料となっています

因みに『万葉集』は5世紀初めから
8世紀の奈良時代まで

約350年の間に詠まれた4500首以上の
主に和歌を集めた歌集です

また、この時代の社会背景は
708年に鋳造される和同開珎の流通を促すために

日常の暮らしの中に強引に通貨させたり
701年に施行された「大宝律令」

本格的な刑法(律)、行政法(令)の制度のこと
天皇さえも縛り付ける律令ですが

唯一、適用されないのが藤原家だったのです
これは独裁者です

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国を創る、とはそう云う事なんでしょう
トランプさんにより、ようやく落ち着くのか?
朝鮮半島情勢は何千年も前からの歴史の繰り返しです

そこに中国が関わってくるのも同じです
やや他人事のように感じている日本人の感想も
おそらく何千年も変わらないかも知れません

国内に目を向けてもそれは同じです
政府の中枢では常に権力闘争が繰り返されています

わざわざ国家戦略特別区域に指定し
正当化するために、法律まで改正して

合法的に利権に絡む不正を隠そうとする
政権による不祥事が後を絶たちません

公職者の怠慢で稚拙な言い訳じみた発言
嘘さえ正当化する傲慢さ

みっとないセクハラ事件など
どこまでも高慢で反省しない官僚

日本の国会はこんなにレベルの低いのか?
内政、外政とも停滞し空転し続ける国会

今、日本がおかれている立ち位置を
考えると、ますます国際社会から
ないがしろにされてゆく哀れさ・・・

庶民の苦痛を顧みない政治家ばかり
民主主義の原則である

「主権である国民のための政治」からほど遠く
税金の無駄遣いが、いつまでも続くのでしょうか

この国を正しい方向へ導く政治家、政党はなく
情けないと感じているのは私だけではないはずです

国として、大きな過ちを犯さないか危惧しています

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非日常的な1300年前の建造物を見るために
私は、身もこころも落ち着かせる、ある準備をします

東京とか大阪とか、大都会で毎日
スピードと刺激と緊張の中に浸っていると

季節の変わり目の24節気や、美しい四季の流れ
ビルの谷間に覗き見える美しい夕日に気づけず

カレンダーをめくる時に
流れゆく月日を感じていた

しかし、好きな絵や博物館の展示、
クラッシックやピアノのコンサートなど

非日常的な観賞や体験する時は特別に
それらの作品が作られた年代の流れや

作品がもつ情報など予備知識を得た方が
対峙して、楽にみられます

ゆるやかな環境に、素直に自分を置いてみること
まず、共感することを目的に、次第に深く幅広く
決して押し付けない様に、こころがけています

そうしないと、知識だけで納得してしまい
「知ったかぶり」というか、「わかった」気になり

自分を騙してしまって空回りする
得るもの、感じるものを失くしてしまいます

ゆったりとした、享受できる幸せな時間や
素敵な間を楽しむ事は難しいのです

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平城京 地図

今回も大和西大寺駅から15分ほど
ゆっくりと歩き「平城宮跡資料館」へ

出土した、さまざまな遺構や建物の
復原模型を展示して、わかりやすく説明されて
史跡探訪には、外せない展示館です

到着後、館内で早めの昼食をゆっくりと食して・・

平城宮跡資料館125

因みに展示館内は定められたところで飲食可能です

屋外では自己責任でゴミを持ち帰れば
原則、どこでもOKです

公園内に木陰は、あちこちにあります
みなさん 思い思いに くつろいでいます

いよいよ史跡深訪へ、出発です
「平城宮跡資料館」から400mぐらいで「第一次大極殿」です

大極殿

復元には、資料がほとんど残っていないため
柱の跡や、同時期の建物遺跡である

唐招提寺の金堂や東大寺の大仏殿を
参考にして建てられたそうです

若干の差異はあるかもしれませんが
1300年前に、このような大きな建物を
建てられる技術力が凄い!!
「第一次大極殿」の大きさもうなずけます

平城京を訪れた際に、その重厚感のあるつくりをみて
圧倒されて、支配に従うようにしむける

更に外国との交流に際しても
すばらしい平城京をみせることで

天皇と国家の威厳を示すことを意図 していました

朱色の赤い柱がとても印象的で
そのまわりが広大な平地であるために

まるで青く澄み切った天空の御殿のような
構図を楽しむことができるのです

ここから、南へ 800m の「朱雀門」が一望できます
1300年前の宮人もこの景色を眺めていたのでしょう

この景観は下記の整備方針で守られています
参照してください
国営平城宮跡歴史公園景観整備方針

大極殿風景合成

中央にある「高御座 (たかみくら) 」には天皇がお座りになったそうです
殿前の広場で、元日に行われる新年の行事や

天皇の即位式、外国使節との面会など
大切な儀式が行われました

金色、紫色、朱色・・それらの高貴な色使いから
往時の様子が目に浮かんできます

高御座

儀式には1万人の役人の中から選ばれた
150人ほどの上級役人が広場に入ったそうです

「大極殿」の構造は、復原案では現在の耐震基準を
満たしていないため、免震機能が追加されました

基壇内部に、免震装置を導入し
見た目に2~3cm地盤から浮かすことにより

構造補強を最小限に抑え、復原案に近い形態で
施工が実現されています

「第一次大極殿」は屋根の上に特徴があります
両端には金色に輝く金銅製「鴟尾(しび)」があり
「鯱(しゃちほこ)」と違って、頭がありません

なかでも、特に注目したいのが、
屋根の中央に取り付けられた宝珠形の飾金具
「大棟(おおむね)中央飾り」と呼ばれています

ふたつの鯱

この飾り物を取り付けた目的は

中国の最先端文化を積極的に受け入れ
律令国家の確立を目指していた時代

その当時の日本の先進性を勘案して
法隆寺夢殿の宝珠を参考にしながら
取り付けられたそうです

現在、格式高いものには金色が使われるように
この時代にも重宝がられていました

大極殿の屋根の上「鴟尾」や「大棟中央飾り」が
奈良時代の技術力の高さと威厳が伺えます。

「第一次大極殿」の復元がこれまでの研究成果を
ふんだんに盛り込んだ上であることがうかがえます。

「第一次大極殿」から東へ およそ300m で
本日の目的 「遺構展示館」に到着です

「遺構展示館」では、発掘現場で見つかった遺構を
その現場でそのままの姿で、見学できるという珍しい
展示方法です

遺構展示館25w

今まで見たことがない展示物がありました
「第二次大極殿」基壇の南北断面がです

基盤の断面

これは人力により土を打ち固めたもの
はっきりと横筋が入った層になり
頑丈な強度を表しています

この方法で大きな建物を支える基壇ができたのでしょう
強力の男たちによって作られたものでしょうね

次に、御所に当たる内裏の井戸枠です
上に鏡があって、中が覗けます

井戸と瓦

直径1.7m の杉の大木がくり抜かれたもの、なんと贅沢?な
ゆたかな水源により、潤っていたのでしょう

その他に、瓦、木製の井戸枠、木片、 
それらのものが、1300年前の形のままに

木簡dc60

平城京で出土した多量の木製品が
原形のまま残されていたのかは

現場の地下水位が比較的高く木製品が
水で飽和された状態で埋没していたため

酸素が極度に欠乏し、腐朽菌の活動がさまたげられ
レトルト食品の様になっていたためと考えられます

それでも1300年の長い年月、地中に埋没していた間に
木材の細胞壁は微生物による損傷や

加水分解などの化学変化を受けていて
材質はやわらかくなり機械的強度は劣化していますが

極めてよい状態で残っています
考古学上、貴重な発掘になるらしい

考えてみると、1300年前の人と現在人
および、これから1300年先の未来人にも

おなじものをみることができるなんて・・・
これはもう美しい歴史ロマンです

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当時の建物には雨とゆがなく
雨水は瓦の上から直接、地面に落ちていたために

写真のように雨垂れする位置に石がおかれていました
この石の配置から建物の大きさを推定したそうです
水はけのために、溝には傾斜がつけられていたようです

雨垂れ遺構50

「遺構展示館」を出て、大極殿の方へ向かうと
なにやら、復原展示の建物が見えてきます

これが「宮内省」です(下の写真で2棟並んだ檜皮葺の建物)
宮内省とは天皇のための仕事をする役所であり

天皇の行政スペースである「大極殿」と
居住スペースである「内裏」の近くにあったようです

この宮内省、遺構から推定して「正殿」「脇殿」「倉庫」などが
写真の土塀の向こうに、(隠れていますが)
復元されているそうなのですが・・  (遠目でみた)

檜皮葺w30c

平城宮は唐を見習って、立派な築地塀(ついじべい)
囲まれていました

この築地塀は版築(はんちく)と呼ばれる工法で
作られています

土塀cw30

版築は相当手間がかかった様です

幅約9尺(2.7メートル)の型枠を組んで
10センチほど土を詰め、6センチほどの
厚さになるまで、棒で突き固めます

幅を徐々に狭めながら、おそらく13尺ほど(約3.8メートル)
高さになるまで版築を繰り返さなくてはなりませんでした

さらにその上に瓦葺(ぶ)きの屋根を設け
高さ5メートルを超える塀に仕上げたのです

それら全てが人力によるものですから
当時の人たちはすごい

土塀の作り方

「遺構展示館」から南へ進み、庭園の遺構「東院庭園(とういんていえん)

東院庭園45

写真後方、若草山の右隣が
歴史上 有名な三笠山(御蓋山=みかさやま)です

その名前は、まんじゅうから
あのバルチック艦隊を撃沈した戦艦まで使われています

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庭園のほとんどを占める大きな池を中心に
中央の建物・正殿や、周囲の建物、築山、中島などが
配置されそれらをつなぐ橋が架けられています

池の底から岸辺にかけてはゆるやかな勾配で
趣のある、出入りのあるなぎさになっていて
当時の庭園の様子がしのばれます

東院庭園集合25

庭園を見ていると
奈良時代にタイムスリップしたかのような感覚が

芽生えてきて、この庭園を独 り占めできそうな
気分になるのも、東院庭園の魅力といえるでしょう

庭園の中央にある逆L字型をした池には
中島があって、それぞれ庭園景観の

焦点となるように作られている
その緻密 なつくりは、奈良時代の技術力の
高さを表しています

平安時代以降に造られた日本庭園の原型らしい
と言われていますが・・・

東院庭園景色30

日本庭園には石の組み合わせで
自然風景を演出している「見立て」があります

また、早春の水仙にはじまり、
初冬の紅葉まで四季を感じさせる植物があり

生きている風景に色どりが添えられています
それらが見当たらないために

無機質に感じられ、足りないものを探してしまう・・

「東院庭園」から西の方向へ進むと「朱雀門(すざくもん)」です

朱雀門30

平城宮跡は1998年に復元された
朱雀門から、その姿を現しはじめました

平城宮は高さ5mの築地塀に囲まれ12 の宮城門がありました
その中で朱雀大路の終点の南玄関にそびえていたのが
古代独特の丹土の赤が鮮やかな朱雀門です

壮大な構えは1300年前の都の威容を
彷彿とさせてくれます

朱雀門集合cd30

竣工直前に参加した見学会で
その大きさに驚愕した覚えがあります

門の柱も当時の削り方で削ったそうです
どうしてそのような面倒なことをしたかというと
後世に残す為だそうです

朱雀門を忠実に再現をするため
材料には国内産のヒノキを使って

仕上げは槍鉋(やりかんな)で削るという
当時と同じ建築様式で造られています。

平城京の中心をまっすぐ南北に通じる朱雀大路(すざくおおじ)
幅が75メートルもあり、立派なものでした

1937年(昭和12年)に完成した大阪市のメインストリートの御堂 筋は
計画時の、幅約 44m の道路を建設する話に

「飛行場でも作る気か?」と非難されたほど
浪速っ子を 驚かせました

この朱雀大路はその道幅が
御堂筋の2倍近いあるのですから
当時の人たちを、さぞかし驚かせたことでしょう

都の中央を貫いて街を左京、右京に分かち
街路樹に柳が植えられた平城京を代表する景観でした 

平城京の南端には羅城門(らじょうもん)があり
そこから北へ およそ4キロ進んだところが、この朱雀門です

羅城門は、平城京の南玄関口となる重要な門です
1972年の調査では、基壇の西端が確認されました

朱雀門と同規模(約幅33m)であったと推定され
現在、羅城門跡公園となっています

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2010年(平成22年)、平城宮遷都1300年祭が開催され
朱雀門の門前に立つ棚田嘉十郎(たなだがじゅうろう=保存活動に苦労された)像は

363万人が奈良の遺産である
平城宮跡を訪れたことに、喜んだに違いない

本大会は、平城遷都1300年を迎える奈良の地で
聖徳太子の教え「和を以て貴しと為す(わをもってとうとしとなす)」を
掲げて開催されます。

私たち日本人は、この教えを受け継ぎ
人々の幸せを実現するために

社会の「和」を大切にしてきました
そうした価値観は、ユネスコの「輪」を広げることによって

地域の平和、ひいては世界の平和を
目指すユネスコ精神に通底致します。

また、本会の黒字分(剰余金)は奈良県も奈良市も
翌年発生した東日本大震災のお見舞金などに
充てました。これは美談です

日経(2011/3/23付)によると
「奈良県、遷都1300年祭の剰余金(2億5千万円)を
東日本大震災の被災地への見舞金に充てる」と掲載されました

平素、おとなしい奈良県民も 「やるときは、やります!」

コメント

平城宮跡歴史公園

平城宮跡歴史公園って、いい公園ですね。
てか、楽しそうでいいですね。

No title

歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。

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プロフィール

OB集いの会

Author:OB集いの会
いつも閲覧いただきありがとうございます。本会のメンバーは時に、全員で。時に、隣の人とふたりで会話を交わす、素敵な処に集う大人だからか? 話の引き出しも多ければ、合いの手も心地よく、ちょうど良い塩梅をしっかりと身に付けています。   この会ならではの連帯感があり、みんなでいい場を作ろうという気が感じとれます。   改めて、この空気感が再会できる楽しみとやすらぎ感を与えてくれると確信させてくれます。

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