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2018年9月9日台風21号で被災した高槻に集いました

予約を入れていた高槻森林観光センターから
営業休止のお知らせがありました

センターでは多数の倒木など、大きな被害があり
お客様に快適な空間を提供することが困難な為

9月末日まで営業を休止させていただく様です

本会の順延も考えましたが
10月に恒例の旅行会の準備もあり

当日集合場所に集まってから
考えてみる事になり決行しました

高槻駅に11名が集合し
久しぶりに、高槻城跡公園をめざし
行程地図

城西町にあった工場跡の方面へ
高槻市役所庁舎総合センターに

最上階 16階の展望室へ高槻の変貌を確認しました

6/18の大阪府北部地震、6/28から7/8の西日本豪雨
そして9/4の台風21号に、この地域は被災しました

9/4は14時過ぎから猛烈な風、物が飛ぶより家が
大丈夫か心配されたそうです

景色に写るブルーシートに覆われた屋根
あちら、こちらに見ることができます

あらためて、被災された全ての人へ
こころからお見舞い申し上げます

展望室から北方面
合成22wc

写真右手の2棟並んだマンションとすぐ右下にある
茶色のビルこのあたりに高槻工場がありました

右手下に阪急京都線、左手中央にJR京都線

展望室から南方面
合成1wc

写真中央右手よりの屋上に赤いカンバンがある辺りに
本社と城西工場がありました

中央の大通りが府道十三高槻線、右下に国道171号線
左手端の森がめざす高槻城跡公園です

このあと、15階の「和献洋彩 にん・にん 高槻店」で昼食
高齢の方に配慮されたお座敷にテーブル席

高槻市街地が一望できる眺めのよさ
おしゃれな装飾と和の風情が溢れた空間です

昼食時
集合写真30B

ゆっくりと食事、和気藹々と2時間あまり休憩をとりました

国道171号沿いを東へ、高槻城跡公園へ
途中にある野見神社
野見神社1B

野見神社の境内 改修されています
野見神社境内

野見神社は9世紀末、平安時代中期(887年 - 897年)
この地方に疫病がはやり

神託により牛頭天王(ごずてんのう=須佐之男命(すさのをのみこと)
祀ったところ、疫病が治まったので、社殿を造営したという

野見神社のすぐとなりには永井神社があります
永井神社30

永井神社の境内
永井神社DC30

江戸時代1793年(寛政5年)9代藩主永井直進創建
社殿・唐門(四脚門)は2005年(平成17年)高槻市の
指定有形文化財に指定されました

2010年(平成22年)に解体補修されて
創建された当時の巧みな彫刻と精細な飾り金具で

飾られた優美な姿が復元されました
一見の価値あり

高槻城跡公園のすぐ手前には1982年(昭和57年)3月に建立された
工兵第四聯隊跡碑(こうへいだいよんれんたいあとのひ)が立っています
工兵第4連隊

碑の背後に営門(えいもん=陣営の門)、歩哨舎(ほしょうしゃ=
ある場所に武装して立ち敵または軍用品などを見張る兵がいる小屋)
があります
1909年(明治42年)~1945年(昭和20年)まで存在した兵舎の営門が
このあたりにあったそうです

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1944年(昭和19年)10月10日にはじまった
悲惨な沖縄戦で、誰しもがすでに予想していた敗戦が

ようやく1945年(昭和20年)8月15日に筆舌につくしがたい苦悩と
320万の尊い犠牲の上におとずれた終戦

この事を日本人は決して忘れてはならないはずである

広島の原爆死没者慰霊碑に
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と

刻まれている意味を、考え直す必要があるのでは・・
今一度、物事の筋道をあまり考えない為政者が

唱える憲法改定がほんとうに必要でしょうか?
時間と労力を掛けて議論しないと

先人たちにたいへん申し訳ないことをすることは
避けたいと思うのは私だけではないはずです

独裁政治に近い今の日本を是正できるのは
私たち国民の力(投票)です

正しく議論ができる、あるべき国会に戻すには
過半数を超える議席を確保するような

1党(イヤ安部さん)独裁だけは避けたいと考えます
保守、野党がせめて数の上で均衡し
議論ができる真の民主主義に戻すべきです

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終戦時、高槻市内には多くの戦災者が疎開されており
府下では、戦災など犠牲が少なかった高槻市民は

戦争犠牲者の同胞へ温かい心情で接したそうです
兵舎は、戦後改築され校舎として使われていました

今は平和の祈りを込めたモニュメントとして
この碑が往時(悲惨な過去)を物語っています

いよいよ高槻城跡公園です
入り口に高山右近(たかやまうこん)の像があります
高山右近

戦国時代のキリシタン大名。摂津高槻城主。
1587年(天正15年)の禁教令発布のときに除封,追放された

1614年(慶長19年)江戸幕府の禁教令に触れて
国外追放となりマニラに流され,到着後ほどなく没し

本日の目的地である歴史資料館です
歴史

残念ですが、台風の影響で休館していました
白壁と本瓦葺きが印象的な歴史民俗資料館

ふるさとの暮らしや生業を語る生活用具、農具・漁具などの
民俗文化財を保存、展示しています

江戸時代中頃、城下の紺屋町に建てられていた商家を
移築復元したものらしい

この建物は高槻市の有形文化財に指定されています

いまにも泣き出しそうな空の下、なんとか差さずに歩けました

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