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2018年10月7~8日恵那峡旅行会に集う

10月7日(日)
10時00分
 JR京都駅八条口 アバンティ前 観光バス駐車場に集合
   総勢16名 療養されてた人も
   はじめて参加される人も、元気に集まりました

10時20分 アバンティ前を出発
 バスは丁寧な運転とサービスで有名なMK観光バス

MK観光バス50

 京都南ICから高速へ 草津JCTまで交通渋滞もなく
 焼酎の水割りをいただきながら 快適なバス旅

養老SA バス内
バス中風景50

 養老SAで昼食と思いつつ、酒の肴(練り物)を購入 うまい!
 ついつい声が大きくなり、運転手さんから注意

 少し反省し、いっとき、静かでした
 快適なバス旅を楽しみました

 欠陥道路とも、いわれている必要以上に
 曲がりくねった中央自動車道

 建設当時,わずかな知恵と経験を基に机上で考えた
 眠気防止のために、カーブが連続する設計

 実走試験をおろそかにした結果, 曲がり過ぎて
 前方確認が困難で、事故を招く結果になっています
 
 おかげで時速100km以上の高速化は無理
 大切な設計思想が誤っていた典型ですね!

 危険を感じるのは私だけではないはず
 ダメなものはダメと言わない限りよくなりません

 「こんなものかなあ~」と思えば疑ってみましょう
 今の時代、国民は声をあげて民意を示します

 生活レベルが向上して、今までの様な国民をバカにした
 金の力による政治ができる時代ではありません

 数で決まる様な愚かな政治ではなく
 議論ができる健全な国会運用
 国民は皆、これを望んでいます

 旧態依然の政治力では民意を抑えることはできません
 この様な政党は次第に衰退していくでしょう
 
 望ましい政党により、税金の無駄使いが少なくなれば
 中央自動車道も少しづつ真っ直ぐに治っていくでしょう

 当たり前ですが
 現在建設された新東名高速をはじめとする
 各高速道路は改善されています

13時30分恵那峡国際ホテルに到着

 予想していた台風が逸れて夏の様に暑く
 天気がよいので、お風呂までに一汗
 夕食前に「大井ダム」へ片道20分ぐらいの散策

観光地図1

 ダムへは雨上がりの小道
 晴れていなければ、スベって苦労していたでしょう

大井ダム前
大井ダム35b

大井発電所
大井発電所30

 外灯や手摺のかたちにレトロ感
 ところどころに大正時代の面影を残しています

大井ダムの上
ダム上部20

 ダムの上は散策路、豊かに水をたたえています

ダム湖C35

 ダム完成時にはじめてこのダム湖を見た人は
 その大きさに驚いたことでしょうね

大井ダムの説明
大井ダム説明30

 こんな雄大なダムを100年前 明治から大正にかけて造られ
 更に、その50年前が明治維新、
 わずか150年間で日本はこんなにも大きく変わりました

 その全てが先人たち(私たちのお爺ちゃん、親父たち)からの
 血と涙の尊い贈り物です。なにひとつ粗末にできません

 ホテルに戻って温泉です。なんと温泉は塩味です
 このあたりはむかし、海だったようです

 夕食は和洋折衷バイキング
 団体客が多く、まあ・・ それなりの夕食バイキング

IMG_1135cb30.jpg

 部屋に戻り、いよいよ 華麗なる晩餐会
 NHKのチコちゃんに叱られそうな
 いろいろとエピソードが生まれています

 エピソード①
 なんと「近くにコンビニがないか?」とフロントに問い
 缶ビール24個を肩に担いで帰ってきたそうです

 私はその人を褒めてやりたいです
 そのビールで乾杯、これが格別で おいしい~
 
 エピソード②
 メンバーのひとりが「財布がない」と云い出して
 探しても見つからなくて・・・自分の部屋を探しても

 最後にみんなの前で浴衣の紐を解いてみると
 「ドッサ」と音がして床の上に大きな財布が

 ふところに入れていたのが
 いつの間にか背中に回っていたようです

 「これはなにかな~?」一同、大笑い!!
 あ~、疲れた

 その他、数々のエピソード
 腕前は超一流、踊りの披露、などなど

踊り40b

 旅行会ならではの、楽しいひとときを過ごしました

10月8日(祝)
日付が変わっても話は尽きず・・・・   睡眠

 目が覚めると部屋に私ひとり・・
 さすがに朝早くからスイッチON

 さわやかな気分で
 なん度入っても、いい気分の朝湯
 こころの贅沢です

7時00分
 おなかいっぱい食べ

9時20分
 高速遊覧船で恵那峡観光
 さざなみ公園から上流10kmまで、往復30分の船旅
高速遊覧船30b

 遊覧船コース
 
 森木と岩と水が織りなすすばらしい景色

恵那峡上流
恵那峡20

高速遊覧船内
遊覧船20

めずらしい品の字岩
品の字岩

 公園を散策、天気がよく、澄んだ空気のなか
大井ダム湖
ダム湖全景25

 大井ダムを造った福澤桃介とそれを支えた川上貞奴のレリーフがありました

桃介と貞奴50

 エピソード③
 帰りのバスを待っていた時、「携帯がない」と言い出し
 他の人に携帯を鳴らしてもらって、音が聞こえる

 周りにいる人も自分の携帯の音と間違えて探し出し

 あちこち探したがみつからず、おおさわぎ
 やっとのことで、見つかりました

 座っているシートの隙間に入り込んでいて
 これはわからないと、みなさん、納得です

14時00分ホテル発 帰路もめだった停滞もなく
17時15分 JR京都駅到着

ほんとうに有意義で楽しい旅行会でした
 あでやかな踊りを眺めながら
 美味しい酒が飲め
 メンバーの親睦を深められ
 幹事さん、ありがとうございます

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大井ダムについて説明します
大井ダムは日本最初のダム式水力発電専用ダムです

建設時の電力会社は、大同電力という大正・昭和の大手電力会社
「電力王」と呼ばれた実業家、福澤桃介が建設を主導し
それを支えたのが「マダム貞奴」こと川上貞(さだ)です

大井発電所(おおいはつでんしょ)ならびに
1983年(昭和58年)4月27日に併設して
新大井発電所(しんおおいはつでんしょ)が運用開始されて
現在最大8万4000キロワットの電力を発電します

ダム建設が決まったものの、
堤高50メートル級のダム建設が当時の日本にはなく

しかも下流には濃尾平野を控えるという立地条件のため
その設計・施工には周到な調査研究が必要であった

そこで大同電力では地質調査を実施し、
3候補地の中からダム建設に最も適するとして

1922年(大正11年)4月、ダム・発電所の建設場所を
この地に移す設計変更許可を得ました

着工から2年1か月後の1924年 (大正13年) 8月16日、
大井ダムの湛水が開始され
同年11月28日に大井発電所の運転が開始された

発電所の主要機器はすべてアメリカからの輸入品
発電所出力は4万2,900キロワットで
当時の日本最大の発電所です

送電線は木曽川筋から大阪府へと至る「大阪送電線」が接続し
大井発電所の発生電力は関西地方へと送電された

大井ダムによって誕生した人造湖によって
「恵那峡」という新たなる名勝が誕生しました

上流10キロメートル以上にわたって
奇岩・絶壁が湖の両岸にそびえ

春の桜や秋の紅葉の時期の
景勝地として知られています

飛騨木曽川国定公園に指定されている
2005年(平成17年)には財団法人ダム水源地環境整備センターより
恵那市の推薦を得て「ダム湖百選」に指定されています

ダム湖100選25

「ダム湖百選」とは、地域にとってかけがえのないダム湖を選定·顕彰する
ことによって、より一層地域に親しまれ、地域の活性化に役立つことを願って
認定されたものです。
恵那峡 (大井ダム)(大正13年)日本で最初のダム式発電所として完成し、
桜、 緑、 紅葉、雪景色と四季折々の美しさで楽しませてくれ、また、遊覧船巡
りでは両岸の奇岩、怪 石がそびえ立ち自然の造形美を楽しめ、冬に訪れる渡り
鳥のバード ウォッチングも楽しめます。 ·周辺には 天然温泉に入れるホテルを
はじめ多くの宿泊施設が有り、景色を眺めながらゆっくり滞在することができます。
周囲を取り囲む自然と湖によ て創られた水辺空間は、年間を通じて
多くの人々の憩いの場所となっているもとにより「ダム湖百選」に認定されました
平成17年3月
     恵那峡 (大井ダム)

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「マダム貞奴(さだやっこ)」について説明します

日本初の女優と言われる川上貞奴は
1871年(明治4年)東京日本橋の質屋で生まれた小山貞(こやまさだ)

7歳の時に家業が傾き、葭(よし)(現在の人形町あたり)
芸者置屋「浜田屋」の養女に出された

川上貞奴1

厳しい道を、持ち前の負けん気と才能で、その頭角を現わし
伝統ある「奴(やっこ)」という名を襲名・・・

整った容姿と見事な踊りで
人気芸妓のトップの座を獲得します

時の総理大臣・伊藤博文や
あの西園寺公望(さいおんじきんもち)
(功績は、5・15事件で首相の犬養毅(いぬかい つよし)が軍人に殺害され、政党政治が終わり、
軍部の独裁(どくさい)が始まろうとしていても。軍部の力をおさえ、立憲政治を守り抜こうとした人)

も彼女のごひいき衆ですから、まさに日本一の芸妓・・・

やがて、♪オッペケペー節♪で「時代の寵児(ちょうじ)」として
人気絶頂だった壮士芝居(そうししばい・自由民権運動を広めるための芝居)

川上音二郎と出会い、1894年(明治27年)に結婚しました
詳細は「オッペケペー節」を参照ください

しかし、川上一座の人気も、まもなく下降気味に、
また音二郎が衆議院選挙に落選し
借金まみれとなってしまいます


「もう、日本では稼げない!」とばかりに
川上一座は、その活路を海外へ

1899年(明治32年)、夫と一座を引き連れ
アメリカへと渡った貞・・・

しかし、到着したサンフランシコで女形が死亡・・・
しかも、「舞台に立つのは男」という観念がある日本と違って

「女の役は女がするもの」というのが常識の海外では
女優のいない劇団など、興行師も相手にしてくれません

でも、もともと男だけの一座(日本の演劇界の姿)・・・
女優はいません、しかたなく
裏方に徹していた貞が代役を務める事になりました

この時、本名の「貞」と、芸妓名の「奴」を合わせて
「貞奴(さだやっこ)」という名で
日本初の女優として舞台に上がったのです

続くシカゴ公演での彼女の日本舞踊・・・
未だ見ぬアジアのエキゾチックさで
見事、アメリカ人を魅了します

音二郎と貞奴

さら、ヨーロッパへ・・・

ロンドンではバッキンガム宮殿に招かれ
万国博覧会で盛り上がるパリ公演でも

「マダム貞奴」として人気を博し
当時のパリの社交界では

着物風のドレスが「ヤッコドレス」と呼ばれて
大流行したのだとか・・・

サダヤッコドレス

こうして、世界的人気の女優として帰国する彼女でしたが
日本で女優を続けるつもりはなく、以前同様

裏方に徹するつもりでいました
しかし、世間は彼女をほっときません

その声に応えて、1901年(明治36年)
シェークスピアの「翻訳オセロ」にて
31歳の彼女は日本での初舞台を踏みました

もちろん、この公演は大成功・・・
彼女の肖像を描いた広告ポスターが溢れかえり

(かつての誰もが欲しがったポスター
資生堂の前田美波里さんの様に)
一大ブームとなったそうです

さらに、この勢いに乗って、1908年(明治41年)に、
後進を育成するために帝国女優育成所を設立・・・
初代・校長に就任します

しかし、1911年(明治44年)、音二郎が亡くなったと同時に
世間の風は一変します

夫の遺志を継いで、一座を率いて各地を巡業する彼女に
演劇界やマスコミからのバッシングが始まるのです

時代の寵児とさんざんにもてはやしておいて
何かをきっかけに、一気に落としにかかる・・・

100年経っても、芸能界の風習はいっこうに変わっていないようで
寂しい気持ちになります
そんなマスコミに踊らされている自分も、反省・・・

結局、貞奴は1917年(大正6年)「アイーダ」を最後に
女優引退に追い込まれます

引退した翌年、名古屋に「川上絹布株式会社」を設立して
その後は実業家としても活躍する彼女ですが

この時、実業界のパートナーとして彼女をサポートしたのが
福沢桃介という人物でした

実は彼女・・・音二郎に出会う前に
現代でも通じる猛烈な悲恋を経験しています

それは、彼女がまだ15歳の乙女だった頃
馬術を楽しんでいた時に、突然野犬に襲われところを

18歳のイケメンで慶応義塾の学生だった
岩崎桃介が助けた・・・という
まるでおとぎ話のお姫様のような出会い・・・

すぐにふたりは恋の落ちる
でも運命は悲しくはかないもの

彼は、貧しい農家の学生で彼女は芸妓・・・
結ばれることもなく、わずか1年の淡い恋・・

あの福沢諭吉が成績優秀で男前な彼を見込んで
「娘の婿に・・・」との要望を受け福沢桃介になる

明治という時代、当時の二人の立場からみれば
致し方ないところでしょうね

しかし、今回は、時代も立場も違います

実業家・桃介がこの「大井ダム」を完成させ
「日本の電力王」呼ばれるようになる1920年(大正9年)
ふたりは同居を始めます

芸妓から女優となった貞の社交的な振る舞いにより
名古屋の邸宅「二葉館」は

さながら政財界の大物が集うサロンようだったと言います
詳細は「二葉館」を参照ください

やがて1946年(昭和21年)12月7日、すい臓がんにより
まるでドラマのような75才の人生を終える貞奴ですが

8年前に亡くなった桃介とは
最後まで恋人どうしのような仲睦ましい間柄だったとか・・・
彼女が切り開いた女優という職業への道・・・

帝国女優育成所が設立された際
開所式に呼ばれたあの渋沢栄一(日本の資本主義の父)
そこに、多くの弁護士や代議士の令嬢がいた事を知り

「300年の長きに渡って卑しめられてきたのは
実業家と女と役者である

皆さんは、そんな女でありながら、さらに役者を目指すと言う・・・
同じ境遇の実業家として、私は大いに味方したい」
と演説したのだとか・・・

そうです
江戸時代・・・商人は、何を生産する事もなく

右にある物を左に渡すだけで金を儲ける悪人とされ
役者は町から町へ渡り歩く流浪の者とされました

しかし、今や「スター」と呼ばれて
憧れの眼差しを一身浴びる女優さん・・・

そんな彼女たちの道を切り開いたのが
川上貞奴なのです

私はこの人の社会への貢献心に拍手を送りたい!

彼女の功績を讃えてNHK大河ドラマ「春の波濤」が
1985年1月6日から12月15日に
放送されました、もちろん物語化されています

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OB集いの会

Author:OB集いの会
いつも閲覧いただきありがとうございます。本会のメンバーは時に、全員で。時に、隣の人とふたりで会話を交わす、素敵な処に集う大人だからか? 話の引き出しも多ければ、合いの手も心地よく、ちょうど良い塩梅をしっかりと身に付けています。   この会ならではの連帯感があり、みんなでいい場を作ろうという気が感じとれます。   改めて、この空気感が再会できる楽しみとやすらぎ感を与えてくれると確信させてくれます。

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