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2019年5月19日万葉集の世界にいざなう会 に集う

「日本の心のふるさと」明日香村には
たまらない魅力があります
古代史や古典文学の愛好者でなくても
古代ロマンで癒されます


集合日時  2019年5月19日(日)  AM9:30
集合場所  近鉄京都駅 改札口前

大阪あべの橋経由で参加されたひと
たいへん長らくお待たせしました

京都からは橿原神宮前駅で30分もの待ち時間がありました
単線の吉野線は桜の季節以外は少ないようです

前日までの不安定な空模様
この日も天気予報は良くなかったが

風がすこし強い、五月晴れの一日です
自称、晴れおんな、晴れおとこ が多いのか?

ここ明日香村は、1400年前の古墳時代へ
タイムスリップしたような古代ロマンが体験できます

観光客も少なく静かな村の佇まいを満喫できます
景観も条例によって保護されているためか

田園風景の中に古くからの民家がある、のどかな風景
あちこちで懐かしく美しい景色が眺められます

さあ~、飛鳥駅前からレンタサイクルを利用して元気よく?周遊・・
電動自転車7台、普通車5台 丘陵地は電動車をお勧めします

古代ロマンへの期待を胸に、レンタサイクル屋さん前で勢ぞろい  
『 にわか歴史愛好家 』 になっちゃって イザ‼ 出陣 
レンタサイクル前60

見学予定になかったキトラ古墳で壁画の一般公開中を知り
団体申し込みを済ませて、さっそく予定変更
明日香村地図行程12

飛鳥駅から南へ、キトラ古墳に向かって・・緩い上り坂
代謝を上げて、体脂肪を減らせるコース?でも走りはじめると
ハァハァ、ゼェイ ゼェイ・・体力増強コースになりました

キトラ古墳では壁画 東壁「青龍,十二支・寅」の実物をじっくりと鑑賞

キトラ古墳 記念館70

キトラ古墳は国営飛鳥歴史公園内の南に位置しています
りっぱな施設が作られ、考古学上の重要度がうかがえます

キトラ古墳前庭60

キトラ古墳は1983年(昭和58年)11月7日に
石室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見され
歴史愛好家や学会からたいへんな注目を集めました
キトラ古墳1

2000年(平成12年)には国指定史跡に指定されました
石室天井に天文図が本格的に描かれてあり有名に

実際の星座図ではないが、この時代に天文学?が生まれ
記録の少ない時代に幾何学的に図化できているのが素晴らしい!

天文図上

壁には四つの方位をそれぞれ司る四神
青竜(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)、の図が描かれ

キトラ古墳 四神390

現在でも使われている十二支の動物絵が描かれています

12支全

12星座占いにより、毎日しあわせに過ごすために
本日の運勢、恋愛運、金運、仕事運をチェックし
「今日も頑張りましょう」・・

1400年前から、人々を取り巻く環境や道具は変わっても
ひとの感性や想う心は変わっていないようですね

これまでの古代史を覆した高松塚壁画

IMG_2013.jpg

飛鳥美人の壁画で有名な「高松塚古墳」
橿原考古学研究所と関西大学が共同で発掘調査し
今まで知られていなかった石室が発見されました

高松塚壁画館
高松塚古墳壁画館30

これまでは、記号らしき書き物のようなものでしたが
この石室内からは極彩色に彩られた壁画が出現したのです

極彩色の絵画は、古代史を覆(くつがえ)す大発見です

赤や黄色、青に緑と、実に色鮮やかな衣装をまとった人々
絵の具になるような染料が飛鳥の時代にすでに存在しています

天井には北斗七星をはじめとする星座が描かれていたのである
残念な事に、南の朱雀だけは盗掘のために原型を残していません

さらに東壁と西壁にはそれぞれ男女の群像が四人ずつ
計16人が見事な色彩感覚で当時の生活様式が
判るように描かれているのです

その壁画に描かれていた人物たちの衣装を見てみると
当時の服装や階級、文化までもがうかがえます!!

この絵を描いたのは、恐らくお寺などの襖や天井、壁の絵などを
描いていた絵師によるものでしょう

そして、この石室を組み合わせて作ったあと
石室を閉じる前に絵師が中に入って

短時間で描き切ったという所まで分かっているそうです
絵をよく見ていくと、描かれている人々の顔つきが
みんな同じなのは、ひとりの人が描いたのでは・・

これらの壁画が語りかけてくることや
描いたひとの気持ちが伝わってくることも

それを私たちがどのように受け取れるか?
その事柄・内容がどのようなものであっても
すごく価値があることだと想います

日本最古の飛鳥寺

飛鳥寺1190

「飛鳥大仏」さまは写真撮影させていただける
珍しい仏さまです
DSC_0009dc30.jpg

お寺の方も「どんどん撮影してもらって大丈夫ですよ!」と
ちょっと驚きました。お寺の方も 気さくで
飛鳥大仏について色々と説明してくれます

「手の指と指の間には水鳥の足のようにひだがついていて
繋がっている」と慈悲のお言葉で

これは「何人たりとも、もらさず救い上げる」という仏の教え
なんと素晴らしい飛鳥大仏さまでしょうか

飛鳥大仏は釈迦如来 (しゃかにょらい) で仏教の開祖であるお釈迦さまです
慈悲深い愛で私たちを救ってくださる、そんな男気溢れる印象です

法隆寺の本尊と同じ鞍作鳥 (くらつくりのとり) という渡来系仏師が
約3メートルの坐像で、銅15t、黄金30kg を使って造ったそうです

1400年もの長い年月はそのお姿の印象を変えてしまいますが
動かず失われず今もなおそこにあり続けることのありがたさを
その満身創痍なお姿で感じ取ることができます

お顔立ちは、安らかで、ふくよかなほほ笑みさえ浮かべている
その美しいお姿にすっかりみとれてしまいます

説明によると、顔の表情が左右で異なっているそうです
左から見ると、丸い印象の目元と小さな口元、やさしい表情
右からは、目尻がスゥーと長く、口元キュッとしまって凛々しい

お姿は、お堂の正面に身体が向いておらず
少し斜めに座られているんです

その理由ははっきりしていないようですが
聖徳太子がお生まれになったとされる橘寺(たちばなでら)の方角に

少しずつ動いて行ったのではないかと言われているそうです
これもまたロマンですよね~!!

朝鮮伝来の仏教(588年)を広めようとする蘇我 (そが) 氏と、
これに反対して日本古来の神道を重んずる物部 (もののべ) 氏が
互いに争っていた

そんな中、厩戸皇子(うまやどのみこ=聖徳太子)は蘇我馬子と手を組み
物部守屋(もののべのもりや)を殺害して物部一族を滅ぼし

天皇を中心とした争いのない国づくりを目指し
この地で推古天皇、聖徳太子らによる律令国家が誕生しました
同時に、蘇我馬子が仏教を広めることができたのです

飛鳥の時代は、まだまだ謎に包まれていることも多く
ロマンに満ちているのです!

女性が力を持つと世の中はうまくゆくのでしょうか?
聖徳太子が摂政として手腕を振るっていた時代の天皇は
推古天皇•女帝です

そして、皇極(こうぎょく)天皇や持統(じとう)天皇など
他にも女帝が活躍したのが飛鳥時代
謎多きこの時代に、女帝たちはどんな風に過ごしていたのか

昔ながらの原風景が残る明日香村で
飛鳥時代へタイムトリップです!!

現在、日本国内にある寺の数は7万以上といわれています
これは2019年1月現在の全コンビニの数(57000店舗)より多く
その原点ともいうべき寺が、この飛鳥寺です

飛鳥寺は588年の創建当時
現在よりも20倍大きい寺域であったそうです

寺の中心には五重塔を擁し東西に金堂
その外側を回廊を巡らした壮麗な寺であったようです
飛鳥寺伽藍

これまで幾度の火災、そのたびに建て替えられてきた
でも『飛鳥大仏』だけは創建当時の様子を偲ばせています
1400年の時を超え現在も生き続けているのです

飛鳥大仏前で集合写真
DSC_0029dcb30.jpg

蘇我入鹿(そがのいるか)は飛鳥時代の有名な人物のひとりです
そんな蘇我入鹿は、「大化の改新」の前夜に

飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らによって
暗殺され、首が落ちたと言われる場所が
「蘇我入鹿首塚」になっています
DSC_0030dc25.jpg

この場所で、その栄華を極めた蘇我一族が没落した
そして新たな時代の幕開けとなったところです

「万葉集」をテーマにした奈良県立万葉文化館

万葉文化館玄関30

2001年(平成13年)9月に、建設費約140億円の巨額資金を投入して
明日香村飛鳥に開館した県立万葉文化館

当初、年間25~30万人と見込んでいた入館者数は
半数以下の10万人前後と低迷しています
そのためか駐車場が無料です

DSC_003820.jpg

古代衣装バージョンの「せんとくん」が迎えてくれました
飛鳥女子がそよ風に誘われて さわやかに・・
DSC_0039dwc30.jpg

「奈良県立万葉文化館」は
現存する最古の歌集である万葉集や
歌が詠まれた時代について学べる入館無料の施設です

発掘した文化資産の保管も行っており
遺跡と共存した、総合文化施設です

広々とした綺麗な館内には段差がなく
エレベーターがあるため
ベビーカーや車椅子でも安心です

一階部分には、万葉集をテーマにした日本画を展示
「令和」の元号の説明パネルも展示されて
ミュージアムショップなどがあります
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館内は当時の人々の暮らしの様子が再現されていたり
設置されているタッチパネルで
万葉集のクイズなどを楽しめたり

シアタールームのように動画を鑑賞したり
できるようになっています

スタッフの方々の手づくりの解説プリントが
展示室の各所に豊富に用意されていて
自由に持ち帰ることができます

どれを見ても内容は充実、お子さまはもちろん
大人が読んでも勉強になるものばかりです

何かわからないことがあればいつでも
ボランティアスタッフさんや学芸員の方々に尋ねたり、
1階にある「万葉図書・情報室」で調べることもできます

また、どんな人がどんな気持ちで歌を作っていたのか
その想いと当時の暮らしを体験し伺うことができます

IMG_2091.jpg

地下一階の万葉おもしろ体験コーナーから、
万葉劇場など、万葉集を満喫することができます

歴史的にも重要な遺跡が点在するこの場所で
飛鳥時代のことを学んでいると思うと
このうえもなく不思議な感慨がこみ上げてきます

IMG_2090.jpg

当時の人々がこの地で暮らしていた証を目の前にすると
遠いはずの古代のことがぐっと身近に感じられます

情感あふれ趣豊かな万葉集の世界に触れ
当時の人々の暮らしや詠みひとが歌に込めた気持ちに

想いをはせてみてはいかがでしょうか
心身ともに、こころ豊かな気分になっていただけると想います

IMG_2093.jpg

石舞台古墳までの旧街道

街道30


謎に覆われた石舞台古墳

石舞台古墳1

シンボルとも言えるランドマーク
飛鳥時代の象徴といえば「石舞台古墳」でしょう
蘇我馬子の墓と言われています

ボランティアの説明員のお話を真剣に聞き
それはもう、驚きと感動の連続・・
説明b30

巨大横穴式石室の代表格!
石舞台の大きさを上回る古墳があっても

総合的に見ればこの古墳の圧倒的な迫力に勝る
横穴式石室はないと想います

現在は明日香観光の中心でもあり
古墳ファンならずとも訪れたい人気スポットです

石舞台古墳前b30

石舞台古墳の築造は7世紀初頭
岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンです

南側から見ると・・細長い溝は排水溝なのだそうです
石室の大きさは、幅約3.4m、高さ約4.8m、奥行き約7.8m
石室内30

当時の巨石運搬技術の高さが推察でき
埋葬者の権力の大きさがうかがい知れます

重機もない時代にどうやって持ち運んだのか
巨石の重量に耐えられる機材をどの様に準備したのか
気になりますが、それは永遠の謎でしょう

石舞台古墳説明

石舞台地区には、古くからの民家が点在する
祝戸(いわいど)という集落があります

集落には万葉集にも数多く詠まれた飛鳥川
その支流の冬野川(ふゆのがわ)の流れがあります

万葉集によく詠まれた飛鳥川、左側が祝戸地区
飛鳥川60

これらが落ち着いた景観を作り出しています
飛鳥川沿いには遊歩道(左側)がありサイクリングにピッタリ

おとぎの国に舞い込んだような亀の石

カメの石30

こちらもユーモラスな亀の形が特徴の石造物です

飛鳥時代に造られたものに
なぜか亀の形をしたものが多いのも気になります

この場所で何かしらの祭祀が行われていたのでは
ないかと推測されています
滞在時間は短いですが、一見の価値あり

明日香村は大和朝廷発祥の地です
それは日本の古代国家が初めてその形を整え
法治国家として出発した、まほろばの古代都市です

私は「飛鳥駅」になぜか違和感があって調べると
1970年(昭和45年)に「飛鳥駅」に改名

高校生の時に明日香村の石舞台古墳と飛鳥寺を
バスと徒歩で尋ねた事があり
当時(1966年)は「橘寺駅」だったと判明

もちろん高松塚古墳が発見される前、どこにでもある田舎
風景は当時とあまり変わらず、道路だけ、りっぱになっています

明日香村の1964年(昭和39年)ころからの経緯は
当時、主要な産業である農林業はすでに零細化
後継者不足などで苦況に立たされていました

そこに、1966年(昭和41年)1月に古都保存法が制定され
同年7月に明日香村も部分的に指定されたが

都市化の波が、明日香村にも達して、通勤範囲となり
無秩序な宅地開発が始まろうとしていました

つまり都市化と主要産業の苦境という2つの波が
同時に明日香村を襲おうとしていました

明日香村の村民らは、一丸となって立ち上がり
全国に向かって声をあげていきました

明日香に魅せられて、この地に移り住んだ
漢方医、御井敬三(みいけいぞう)氏もそのひとり

明日香村の保存を訴える声
日本人の心のふるさと、飛鳥が開発の波に押されて
今や風前の灯になっています。今、手を打たないと
日本人は後世に悔いを残します
」との

訴えを自らテープに吹き込み、松下幸之助氏の仲介により
1970年(昭和45年)年頭に、
当時の首相、佐藤栄作氏に送りました

当時、明日香村の貴重な歴史遺産や風土を守れという声が
日本全国に広まりつつありました

テレビや新聞などのマスコミが“飛鳥”を競って取り上げ、
その素晴らしさを訴えたのです

しかし政府を動かしたのは
何よりも御井敬三氏の“声の直訴状”でした

これ以降、飛鳥保存は、一地方・一個人のとりくみから
国家政策に組み込まれて行くのです

やがて村民の声などを受けて特別立法の制定への要望が高まり
歴史的風土審議会などの審議を経て、「明日香法」が誕生しました
 
しなやかで女性をイメージした優しい曲線の丘陵
緑したたる森林、そして水田

自然の地形に沿って形成された集落
ゆっくり歩いていくと見え隠れする古い様式の日本家屋

それらを繋いで、なだらかに曲線を描く村道
その間をゆるやかに流れる川

そこ、ここに点在し、いまだ地下に眠り発見されるのを
待っている貴重な歴史遺産・・

この素晴らしいふるさとを守り、育てていくために
「古都保存法の特例法」として制定されたのが
通称「明日香村特別措置法」です

正式には「明日香村における歴史的風土の保存及び
生活環境の整備等に関する特別措置法」といい

1980年(昭和55年)5月に公布・施行されてから
この「明日香村」が見守られて
これから先も同法に守られて行くことを望んでやみません

世界遺産へ登録の話があるようですが
日本にとっては良い事ですが

その地域に住んでおられる人には迷惑なのかもしれません
私は現状のままでも充分に守られてゆくと考えます


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OB集いの会

Author:OB集いの会
いつも閲覧いただきありがとうございます
本会のメンバーは時に、全員で。時に、隣の人とふたりで。会話を交わす
素敵な処に集う大人だからか? 話の引き出しも多ければ、
合いの手も心地よく、ちょうど良い塩梅をしっかりと身に付けています  
この会ならではの連帯感があり、みんなでいい場を作ろうという気が感じとれます  
改めて、この空気感が再会できる楽しみとやすらぎ感を与えてくれると確信させてくれます

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